見える事、感じる事。

エッセイの著作が多い、岸本葉子さんは、
高校時代に、先生に叩かれているクラスメートを
見て、泣いてしまったそうです。

「その程度のことで、泣くなよ。
うっとおしい」というような、目で、
見ていた、クラスメートもいたそうです。

前回のブログで考察した
「心の目で見て、感じる力を育てる事」
ですが、岸本さんは、クラスメートを想う、
豊かな感性があったのだと思います。

「うっとおしい」と思うクラスメートは、
心の目で見て、感じる感性が、乏しいという事も
言えます。

しかし、感性が豊かという事は、
仲間外れや、いじめが、煩雑に起こる、
厳しい学校現場では、精神的なストレスも
増します。

心の目で見て、感じないようにする事が、
厳しい学校の現実で、ストレスを軽減する
利点もあるのが、シビアな現実です。

厳しい現実のなかで、子供達の豊かな感性、
心の目を育てる事を、大人が、模索していく事は、
大変な事だと思います。

どうでも良い私の話ですが、私は、
昭和30年代生まれで、塾や習い事に行っている
子供は、少数の時代に育ったので、
ほとんどの子供は、学校が終わると、
外で遊びほうけていました。

そのため、仲間はずれや、過酷ないじめの現場は、
あまり見ないで、育ちました。

特に、高校時代は、性格の良い、勤勉実直な、
クラスメートばかりに恵まれて、幸せだったと思います。

私は、感受性が強い方だと思います。

たまたま、運よく、環境に恵まれていたから、
不登校にはならなかったけど、今の時代なら、
不登校になっていた可能性も、高いです。

たぶん、仮に、不登校になっても、周りのサポートで、
通信制高校を卒業し、大学に行ったと思いますが、
精神的に、しんどい経験を、たくさんしたと思います。

しかし、感受性が強いという事は、利点もありました。

96歳の義父の介護を経験した私は、
介護ヘルパーの資格をとりたいと思い、実習に行きました。

利用者さんと、仲良くなり、認知症で、家族の名前も
分からない人が、私の名前は、憶えていて、
不思議な体験でした。

自分の部屋が分からず、廊下を徘徊している、利用者
さんもいて、私は、その人と、手をつないで、
廊下を散歩しました。

嬉しそうな顔で、童謡を歌いだした利用者さん。

私は、その時、無機質な施設の廊下が、草花が、
咲いている、利用者さんの幼い頃、遊んだ道の
ように、見えてきたのです。

利用者さんは、幸せそうな、満面の笑みでした。

真夏なのに、「寒い」と言っている利用者さんが、
いました。
私は、利用者さんの腕を、さすりました。

利用者さんは、「あったかいね」と、満面の笑みでした。
私は、その時、「利用者さんの心が冷えていたのだ」
と、思いました。

しかし、施設の職員は、利用者さんとは、上手くいって
いない人もいて、職員が、「行きましょ」と、
手を引っ張ると、利用者さんは、パニックになることが
多かったです。

ジャムセッションで、共演したときに、私は、共演者の
心象風景を、感じる事が多く、共演者の子供時代の
心象風景も、浮かんでくるタイプです。

たった1回の共演で、どうして、そこまで、
感じてしまうのか?は、自分でも、よく分からないです。

昔、ライブが終わって、お店で、私一人が、残って、
お客さんが1名残っていました。

お客さんは、「リクエストして良いですか?」
と言って、私は、ピアノを弾きました。

なんの曲を弾いたか?は、憶えていないですが、
結局、私は、お客さんの心象風景を感じて、
演奏が、どんどん内にいき、お客さんは、
ボロボロ泣き出しました。

お客さんは、
「こんなに、泣けるのは初めてのことです」
と、当惑していて、私も予想外の事に、
当惑しました。

CDを聴くだけでは、こんな現象は起こらないですよね。

昔、レッスンで、ベートーヴェンの「月光」の
易しく編曲した楽譜を、弾きました。

生徒さんの気持ちを、どんどん感じて、私は、
泣きそうになりながら、演奏を終えました。

生徒さんは、
「実は、私は、癌を経験して、死を覚悟したことも
あるのです」と、言われました。

生徒さんの癌経験は、寝耳に水のお話で、
演奏しているときに、生徒さんの死を覚悟した
気持ちを感じて、演奏が変わっていったの
だと思います。

病気知らずで、死を覚悟する経験は分からない私は、
死を身近に感じて、遺書を書いて、死を覚悟した、
「月光」を作曲した時の
ベートーヴェンの心象風景も、感じたのだと思いました。

生徒さんには、それぞれの生徒さん固有の人生があり、
私は、自分は、まだ経験していないことを、
生徒さんから、教えていただいたのだと思います。

近隣で、誘拐事件があった時に、幼児の生徒さんと、
家から教室までの道を、散歩しました。

生徒さんは、ちょうちょうが、飛んでいると、
嬉しそうで、珍しい花が咲いていると、足をとめて、
道端に、ビー玉が落ちていると、喜々として、
拾いました。

私は、その時に、今まで、なにも感じないで、
歩いていた、いつもの道に、虫や、ちょうちょうや、
花や、たくさんの命が生きて、活動している、
命の世界を、感じたのです。

私は、講師として、音楽の知識や、技術を教えている。

でも、生徒さんから、生徒さんの心を、
学んでいるのですね。

今まで、見えなかったものや、気がつかなかった事に、
気がつくようになり、生徒さんに、心の目を、
育ててもらっているのですね。

教える事よりも、生徒さんに教えられる事の方が、
はるかに多いのですよね。

昔、ある時、生徒さんが言いました。
「先生、昔のアメリカの黒人は、葬儀の時に、
思いっきり、陽気な音楽で、仲間を送るんだってね。
奴隷として、つらい日々だったから、せめて、最後は、
思いっきり陽気に、送ってやりたいんだって。
明るい音楽でも、悲しい音楽なんだよね」

表面に出ていない、心を、感じることは、
大切な事なのだと思いました。

私は、生徒さんたちに、メジャーセブンという、
明るい和音と、暗い和音をミックスした和音を、
弾きました。

理論を知らない幼児の生徒さんは、
悲しい気持ちで弾くと、「悲しい感じ」と答え、
暗い気持ちで弾くと、「暗い感じ」と、答えました。

理論を知っている、年長の生徒さんは、
暗い気持ちでも、明るい気持ちでも、
関係なく、理論上の概念で「明るい和音」と、答えました。

その時、私は、頭だけの知識を、最初に、
生徒さんに教えるのは、マズイと反省して、
心の目で、感じる音楽を、模索しないとと、
思いました。

怖いと思ったのは、心の目で感じる事が、
希薄になると、親になった時に、子供の心を、
感じとる感性が、鈍くなることです。

もちろん、仕事の場でも、顧客や同僚の気持ちを、
感じとる感性が、鈍くなるのは、マズイです。

知識や技術偏重ではなくて、子供さんと、
かかわる日常生活のなかで、いろいろ感じる事。

大人が、一方的に、子供に教えるのではなくて、
子供と一緒に、たくさん、いろいろ心で感じて、
大人自身が、自分の「心の目を育ててもらう事」が、
子育てには、大切だと思います。

あさげピアノハウス

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