幼児にはできて私にはできない音楽。本能で音楽する事。

珍しく3日連続で、ブログを書いてます。

ブログを書く事は、私にとって、
自分の疑問を整理するのに、とても役にたちますデス。

正直に言えば、私はフリージャズを演奏するのが、
苦手です。

フリージャズは、メトロノーム的なリズムで、
演奏できるものでもないし、
既成のハーモニーや枠を超えた、
絵に例えれば、抽象画のようなものですかね?

フリージャズは、既成の枠をとっぱらって、
自由に演奏して良いジャズですが、
自由に演奏するというのが、
才能がない私には、重荷です。

ある時、ライブ前のリハーサルで、
ドラマーが、ドラマーの好きに、自由に枠をはずして、
ドラムを叩き、ちょうど良い間で、私がテーマにもどる、
という試みをしましたが、
テーマにもどるタイミングが、早すぎたり、
既成のメトロノーム的なリズム感に、
慣れ過ぎていて、ドラマーが叩く、
自由なリズムを殺してしまったりと、
上手くできないまま、本番を迎えました。

楽譜では、書き表せない音楽のリズムや間は、
9歳の子供の頃から、バイエル等の王道の
教則本のピアノを習い、幼児の頃に、
デタラメ弾きの、自由なリズムの即興演奏や、
音楽に合わせて、自由に踊るレッスンを、
うけていない私には、大きな壁なのです。

ライブ本番は、心臓が、バクバクしたけど、
適当に、テーマにもどりました。
家に帰って、ライブの録音を聴くと、
ドラマーの自由なリズムを、殺してました。哀

その後、ピアノレッスンで、幼児と、
即興で、でたらめ弾きの連弾をやりました。

幼児は、楽譜に書けない、メトロノーム的ではない、
不思議なリズムを演奏していて、間やリズムが、
自然に生きていました。
私は、心の中で、「メトロノーム的ではない、
リズムに関しては、幼児のリズムに負けた」
と思いました。

こういう経験があったので、
ジャズ演奏やドラマや、映画音楽の製作で、
活躍している大友良英氏が、知的障がいの子供達と、
即興演奏家達が、即興演奏で共演する「音遊びの会」で、
「相当、自由な音楽をやってきたつもりの私でも、
ここまで、自由な連中に、出会った事はなかった。
本気で、かからなければ。そのくらい、音楽的に刺激的だ」
という談は、とても共感できたのです。

前のブログで書いた、元バンドメンバーの
「音楽も、子供が絵を描くのと同じで、
自由にやるべきだ。枠をはめてはいけない」
という談に、私が、
「アフリカの土着民は、高度なポリリズムを叩くけど、
ドラム教室で、1から習ったら、叩けなくなると思う」
という見解も、幼児を教えていた経験から、
自然に、出てきたものです。

そういう意味では、
「自分がジャズをやってきた方法は、1の次は2へと、
基礎を積み上げて、だんだん難しくする学び方
だったけど、それが間違っていた」と、悩んで、
「音楽のプロの道はあきらめる」と、田舎に帰ってしまった
元バンドメンバーは、私自身の姿と重なるのです。

私は、バンドをよく首になるので、
バンドメンバーが、バンドを去っていったり、
首になっているのを見ると、
「どうせ、そのうち、私も首になるのさ」
と自然に、思うようになりました。哀。

昨日のブログを書いて、思ったのは、
「もし、元バンドメンバーや、ジャズのプロや、
セミプロレベルの人達が、大友良英氏の
音遊びの会の、知的障がいの子供達の自由な
即興演奏を聴いたら、どう思ったか?」
という事です。

学問的な音楽の知識や技術は、ほとんどない
子供達だけど、「本能の力で、音楽する事には、
負けている」とか、大友さんのように、
「本気でかからなければ」と、思うような
確率が高いと思いました。

俗人オバサンの例えですが、
「子役に食われるベテラン俳優」のような
ものですかね??

しかし、そうなると、学問として学ぶ事と、
本能で音楽をやる事は、どうバランスをとって
いけば良いのか?は、
未だに解明できない、難しい問題です。

難しい問題ですが、敬愛する武満徹氏は、
クラシック音楽と、日本の邦楽のコラボで、
邦楽の奏者には、
「西洋音楽は学ばないで下さい」
と言ったそうです。

これは、アフリカの土着民も同じで、
アフリカの土着民に、西洋のリズムのドラム
(ジャズやロックetc)を、学ばせると、
アフリカ独特の本能のリズムが、
ダメになってしまいます。

そして、素人の私の予感ですが、
AIが進化して、AIがかいた小説や、
AIが作曲した音楽が、売りものになったり、
コンテストで入賞する時代。

でも、最後の最後は、本能の学びに、
AIは、勝てないような気がするのですがね??

現実に、クラシックの世界でも、
本能の学びである、世界の民族音楽を、
研究する事を、熱心にやっている人が多いです。

武満徹氏も、民族音楽を経験して、
今までにない音楽に、ショツクをうけたそうで、
熱心に、民族音楽を研究されていました。

太古の昔は、音楽はビジネスとは関係がなかったです。
太古の民族音楽は、ただ、人と人が、音楽で共演して、
楽しみたいという、本能の欲求から生まれ、
そこには、お金の媒介はなかったです。

しかし、楽器が発明されると、楽器商というビジネス
が生まれ、楽譜が発明されると、楽譜出版社という
ビジネスが生まれ、録音技術が、発明されると、
レコード会社というビジネスが生まれ、
理論やメソッドをつくると、音楽教室という
ビジネスが生まれ、スターの誕生が、巨額の
富を生むようになると、芸能事務所や、
コンクールというビジネスが生まれました。

そして、テクノロジーの進歩で、
既存の売れた音楽のデーターを、機械に入力して、
売れる作品をつくる事も、できるようになる。

しかし、私の予想では、機械で、データー処理して
作成した、売れ筋の作品が、街にあふれると、
すぐに、あきてきて、案外、幼児が描いたような、
エネルギーにあふれた、未開人のような、
本能全開の大人の絵の方が、新鮮で、人々が求める時代に
なるような、気もするのですがね??

高額な芸術作品の絵の模写も、今は機械で、
かなり精巧にできるそうで、
でも、現代社会は、学問的な知識や、
技術は上がっても、本能で創作するエネルギーが、
減退しているような気がするのです。

そう考えると、今後、AIに勝てる独創性や、
創造性は、幼児や子供の頃の、既成概念に
染まらない時期の感性を、大人達が、軽視せずに、
大切にする事。
そして、自分が、大人になっても、
大切にしていく事だとも、思ってしまうのですが・・。

あさげピアノハウス

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この記事へのコメント

henokaapa
2020年04月28日 14:56
 私は今毎日ポール・デスモンドのサックスを聞きながら日々を過ごしていますが、彼のサックスはサキソフォンそのものの音に全く逆らわない奏法が素晴らしいからだと感じています、おそらく子供達の音楽は天才が感ずる〈声〉をそのまま素直に表現するのと同じだから、だと思います。サックスを変に引きずり回す奏者がいますが、私はそういう音は嫌いです。そして自分の息遣いに素直に従うプレイヤーに憬れます。音楽は生まれたままの姿に自分が戻れることが最大の魅力ではないか、と思います。
あさげ
2020年04月28日 15:26
産まれたままの姿に、もどれる音楽とのご意見。
いたく同感です。
先日のテレビで、沖縄のバンドのビギンが、
「人は、誰でも自分以外のものにはなれない」
「悩んだら原点に帰れ。すべての答えが、そこにある」
というような事を、言っていました。
私は、原点とは、やはり、その人が、生まれた時から、
育った生活の場にあると思っています。
バンドをやっていて、上手くいくのは、
一緒に共演しているうちに、バンドメンバーの
幼い頃の心象風景が、浮かんできた時です。
育った土地の風土とか、空気を、私は、メンバーの
演奏に感じました。
ポール・デスモンドの演奏は、原点に帰った、
デスモンドが、産まれ育った土地の風や、
太陽や、自然の感じがします。
原点に帰っている、自然な息づかいですね。
原点に帰れない、不自然な音楽は、どこか借り物で、
その人らしさが希薄な、その人の生が弱い音楽に
なると思います。