ウェイン・ショーター「僕は音楽で映像のような永遠に続くストーリーの世界を作りたい」

タイトルのジャズの巨匠のウェイン・ショーター氏
の言葉は、正しくは、
「僕は音楽で、映像のような世界をつくりたい。
永遠に続くストーリーのような世界をつくりたいと、
思っている」
です。

上記の言葉は、音楽ライターの神館和典氏が、
2001年の8月に、ウェイン・ショーター氏が、
新潟の斑尾で開かれた、ジャズ・フェスティバルに、
参加するために、来日した時に、
斑尾のホテルで、インタビューした時の言葉だそうです。

この時のいきさつは、神館氏の著書の
「25人の偉大なジャズメンが語る名盤・名言・名演奏」
に、書かれています。

2月23日のブログで、
「ストーリーが見える音楽。人が見える音楽」という
問題で、私の稚拙な考察過程を、つらつらと、
書きましたが、ウェイン・ショーター氏の
この言葉を、主にした、今日のブログは、
2回目の考察という事になります。

私は、ウェイン・ショーター氏のジャズが、
大好きで、一時期、ショーター氏のおっかけを
していた人と、ジャズバンドをやり、
ショーター氏の曲を、やりまくりの時も
ありました。

斑尾のライブのメンバー達との
ショーター氏のライブも、
元バンドメンバー達と、聴きにいって、
既成のジャズの範疇を超えた、クラシックの現代音楽と、
ジャズの境目を超えた音楽は、私の想定外で、
「スゴイ人だなあ」と、感心ばかりしていました。

ネットのバンドメンバーの感想は、
「ショーターのライブで、頭がぶっ飛んだ」
 というものでした。

ショーター氏は、時代の先を行き過ぎていて、
お蔵入りになった、CDの録音も、
多くあるそうです。

話を、冒頭の言葉のいきさつの話にもどすと、
神館氏は、1999年5月に、
ショーター氏の自宅で、初回のインタビューを
行ったそうです。

神館氏は、自宅の仕事場の天井まで届く、ラックにぎっしり、
つまった映画のレーザーディスクに、圧倒されたそうです。

ショータ―氏は、
「僕は映画が大好きで、子供の頃から、映画のサウンド
トラックばかり聴いていたんだ」
というような事を語り、
「僕は、音楽家になろうとは、思っていなかった。
僕の通っていた、ニューヨーク大学は、当時は、
学生に音楽家になるのを、勧めない学校で、
音楽の勉強は、音楽の先生になるためのもので、
演奏家になるためのものではなかった。
教授達は、自分の生徒が、演奏家になる事を、
強く否定していた」
というような事を、語っています。

しかし、
「僕は、音楽家になろうとは、考えていなかったけど、
音楽そのものを、純粋に楽しんでいた。
最初は、クラリネットで、その後、サックスを始めた。
人前で演奏するようになったのは、大学に進んでからだ。
学費の足しにするために、週末、ナイトクラブで、
演奏していた。客は、ダンスを踊っていた」
との事です。

ショーター氏は、
「音楽は、生真面目にやらないで、楽しむものだ」
というような事を、語っています。

音楽は、義務や義理で、お勉強的にやるものでは
ないのですね。

義務や義理で、お勉強的にやっていると、
音楽の生命力が弱くなり、マズイと私は思うのです。

結局、ショーター氏が、音楽家になろうと考えたのは、
大学を卒業して、軍隊にいた時に、
コルトレーン氏と、出会ったからだそうです。

ショーター氏は、コルトレーン氏の演奏を、
ライブで聴いて、そのすごさに感動し、
2度目の出会いでは、女友だちが、
コルトレーン氏の奥様だったために、
氏の自宅に、まねかれたそうです。

自宅では、二人で、いつまでも、ピアノを
弾き続けたそうで、ショーター氏は、
「あれは、今想い出しても、実に素晴らしい夜だった」
と語っています。

知人のジャズメンも、その日のライブの出来が良くて、
興奮さめやらぬまま、店のマスターが、ライブハウスの
鍵を、ミュージシャンに預けて、帰宅してしまったために、
夜通し、ピアノを弾きまくり、ドラム叩きまくり、
ベース弾きまくりで、お腹が空いた感覚もないまま、
飲まず、食わずで、演奏しまくりだったそうです。

結局、朝方の6時30分に、帰宅したので、
6時間以上、ノンストップで、演奏しまくり。

こういう状態の時は、音楽の強い快楽が、
脳を席巻していて、時間の感覚がとんでしまい、
6時間が、たった1時間くらいにしか、
感じない状態だと思います。

ショーター氏と、コルトレーン氏のピアノ弾きまくりも、
この状態と同じ、脳の状態だったと憶測されます。

(話を元へ)

神館氏は、斑尾のライブのメンバーで、行われた
ライブを聴いたそうですが、ショーター氏の音楽が、
とても映像的で、たった4人の編成なのに、
オーケストラのように響いていて、
壮大な物語を、見せられているような感想を、
持ったそうです。

神館氏は、2度目のインタビューの時に、ショーター氏に、
「子供の頃から、ずっと、映像の仕事に、
こだわっているのではないか?」
と質問すると、ショーター氏は、
「質問に対する回答は、イエスだね。
子供の頃、僕は映画の仕事に就きたかった。
でも、当時は、映画の仕事は、黒人には、
狭き門で、僕は、仲間が大勢いる音楽の世界に入った。
でも、今でも、映像にこだわっている。
僕は音楽で、映像のような世界をつくりたい。
永遠に続くストーリーのような、世界を作りたいと、
思っている」
と、語ったそうです。

サックスを選んだ事についても、
「サックスは、オーケストラに近い響きを、
つくれる。サックスは、とても多くの可能性を
持っている楽器で、だから、僕はサックスを選んだ」
というような事を語り、
「僕は、11歳の時から、冒険者でありたいと
思い続けていた。冒険とは、イコール人生であり、
人生イコール音楽と、言っても良い。
僕は、僕自身が、主人公のドラマの映画監督であり、
プロデューサーであり、主演男優なんだよ」と、
語っています。

知人のジャズドラマーは、画家に、即興で、
キャンパスに絵を描かせて、ピアニストと、ドラマーが、
即興で、演奏するライブを行っていました。

知人のベーシストは、ある小説家の小説を元に、
オリジナルを数曲作曲して、ライブを行っていました。

お気に入りの画集や、絵本のイメージで、
即興演奏のライブを行う、知人もいます。

知人のジャズメンは、劇伴という、劇の音楽を、
即興演奏で、つける仕事もしていました。

創作バレエの音楽を、作曲して、バレエの公演では、
ピアノ演奏の仕事をしている知人もいます。

どうでも良い私の事ですが、私も、短い期間でしたが、
劇の音楽を、作曲したり、創作したりしていました。

「演奏家の人生が見える、人が見える、
ストーリーがある音楽」
「映像とストーリーと音楽」という問題は、
音楽をやるには、欠かせない無視できない、
問題なのですね。

これは、音楽を趣味でやろうが、
お仕事でやろうが、欠かせない、音楽の
本質的な問題だと、私は思います。

私は、幼児の生徒さんが、
「先生、この絵で、ピアノ弾いて」
と言ってきたり、幼児の好きな絵本で、
ピアノの即興演奏をすると、
次の日のレッスンで、段ボール箱に、
家の絵本を全部つめて、親御さんに、
持ってきてもらった事を、考察すると、
楽譜も読めないし、音感もまだ、育っていない、
幼児だけど、音楽の本質は、直観で、
分かっているのだと思ったのです。

大人は、幼児に比べて、物事の本質を、
本能の直観で、感じる力が弱いと、
私は、思うのですがね?

もし、学問的に音楽する事、義務や義理で、
お勉強する事が、音楽の本質なら、
世界中の本能の強い民族音楽も、
発展しないし、生き残れないと思うのです。

ジャズも、白人の学問的な音楽と、
アフリカから、奴隷として、連れてこられた、
黒人の本能の強い音楽の融合で、
産まれました。

ドビュッシーは、フランス生まれの
クラシック音楽の本場生まれですが、
「私は、フランス音楽が大嫌いでしてね」
と語って、フランス音楽以外の民族音楽の
研究に熱心だったそうです。

日本の作曲家の武満徹氏や、高橋悠治氏も、
邦楽や、民族音楽の研究は熱心です。

生きる本能の直観のたまものである音楽を、
本能が弱くなってしまった学問的な
体系化された音楽が、軽視するのは、良くないし、
まして、ビジネスとして、音楽を利用する事ばかり、
考えていると、ますます、音楽の本質は、
見えなくなります。

追記
私の情けない技量の問題で、チープな話題に、
落ちますが、ショータ―氏の言われた
「壮大な物語(壮大なストーリー)の音楽)」
は、私はできないです。哀

ショーター氏の音楽は、どこまで、広大な大地が、
広がっている音楽だけど、私は、家の庭程度の
狭い音楽です。
ストーリーが、広がらないですね。哀
情けない自分の技量は、棚にあげて、
理想論を書いてます。

あさげピアノハウス

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この記事へのコメント

henokaapa
2020年02月29日 15:10
 私は今ポールデスモンドのサックスを毎日聞いています。
あさげ
2020年03月01日 16:06
ポール・デスモンドのサックスは、
私的には癒し系で、ストレスが多い時に、
聴くと癒されます。
デイブ・ブルーベックとの共演の
「テイク・ファイブ」は、ジャズ史上に輝く、
大ヒット曲ですが、スタンダード曲の演奏にも、
癒される演奏が多いです。
2人とも、もう故人なのは、残念な事です。