学ぶ事・教える事の本質は何なのだろう?

親戚が、IT業界のベンチャーの仕事を
しています。
私は、ミュージシャンの業界しか知らない、
世間知らずのオバサンなので、
他業界の話は、興味があります。

親戚の話では、
「専門学校等で、教えられる事は、旧くなっていて、
現場では、もう使えない事が、よくある」

「1年や、2年くらいで、どんどん新しい事が、
開発されるので、自分で、どんどん勉強して
いかないと、追いつかない。年下の若い人が脅威」
との事です。

この話をきいて、
「経済学者で、大学でも教えている人が、
会社を興したけど、すぐ倒産したんだよ。
旧い経済学では、現実の変化に対応できないん
だよね」
と言っている親類もいました。

私は、これらの話をきいて、
「学ぶとは、何なのだろう?教えるとは、
何なのだろう?」と思いました。

前のブログにも書いたけど、生徒が、どんどん
止めていったジャズの理論講座を、想い出しました。

基本的に、理論のような、マニュアルになって、
世間に出まわると、みんな同じ理論で、
ジャズをやるので独創性がなくなります。

独創性がなくなると、ファンもよりつかない。
単なる、ジャズ職人になってしまいます。

結局、ジャズ職人ではない、自分独自のジャズや、
最先端の新しいジャズは、教室で学べる
理論講座ではなく、ジャズをやる現場で、
生まれるわけですね。
(自分の情けない技量は、棚にあげて、
理想論を書いてます)

もちろん、新しい最先端を創造しようとする
人達には、基礎が必要なので、世の中に、
流布している理論の基礎は、習得しています。

もし、教室で教えるなら、まだ基礎ができて
いない、初心者や中級者の生徒さんを、
対象にした方が、良いのかもしれません。

しかし、私が参加した理論講座は、上級者対象だった
ため、生徒達のシビアな要望や意見が、飛び交い
ました。

「テキストを読めば、分かるような講義は、
しないで下さい」
「一つの音楽の例題で、Aの選択もあれば、
Bの選択もあるし、Cの選択もあるという、
多様な視点や回答を教えてもらいたい。
1つの音楽で、Aしかないという講義では、
時間の無駄なので止めます」

人の事は言えないです。私も、講師の先生に、
「この理論に当てはまらない、例外の音楽も
ありますよね。それは、どうすれば良いのですか?」
と質問して、
「君は、そんな質問ばかりして、
ミュージックスクールを、荒らしているのだろう」
と、講師の先生に叱られました。

私の個人的な感じ方ですが、生徒達が、
講師を苛めているような嫌な罪悪感が生まれて、
私も、上記の質問で、先生を苛めているのだと、
落ち込みました。

講師の方が、かわいそうだと思いながら、
さりとて、テキストを読んで、そのマニュアルで、
正解ばかりの講座では、お金がもったいないので、
テキストだけ買ったから、独学でやれば良いと、
私も止めてしまいました。

ドライでシビアな現実ですね。

現実に、アメリカのジャズの大学のバークリーでは、
世界中から、ジャズを勉強したい生徒が集まるため、
生徒のシビアで、鋭い質問が、飛び交い、
教授は、生徒に試されるそうです。

(教授は、「生徒に苛められている」と感じるか、
「生徒に発奮させられている」と感じるか?
難しい問題ですね)

1970年に、渡辺貞夫氏が、バークリー理論を、
日本に紹介し、「ジャズスタディ」という理論書を、
書きました。渡辺氏は、本の「再販に際して」で、
「情報が混乱するこの音楽の激動期に、
本書が、いつまで・・どのくらいの・・
教育的価値を保ちうるかは、知る由もありませんが、
こうした時期こそ、先駆者の遺産ともいうべき、
基礎理論が、未来への確固とした指針を、
示しているように思えてなりません。
この基礎理論を、発展させるにせよ、
破壊するにせよ、それが、諸氏の創作活動の
判断基準になり、また諸氏の感覚美の
表出の一助となれば、私にとって、これに勝る喜びは
ありません」
と書いています。

結局、理論は時の流れで破壊されて、
新しい音楽を生む事もあるし、時代の変化で、
この理論が、未来永劫、教育的価値を持つかは、
知る由もない(予想がつかない)という想いですね。

これは、経済学でも、会社経営でも、同じですよね。
今、現在成功している会社経営が、
未来永劫、成功するわけでもないのと、
同じ事だと思います。

私は、
「もし、大学の経済学の講義で、旧い経済学を、
基本として、学生が学んでいる時に、生徒が、
今現在の変化しまくる経済の、決して答えが出ない、
難問を質問したら、会社経営で、すぐ倒産してしまった
経済学の講師は、どう応えるだろうか?」
と思ってしまいました。

これは、国文学専攻の大学でも、言える事かも
しれません。
私は、国文学専攻の大学を卒業しましたが、
古典の授業は、十年一日のごとく、
教授が、同じ講義を繰りかえしています。

古典の学者の世界は、封建的で、師匠の説に、
弟子が異論を唱えるのは、タブーだそうです。

しかし、現代文学の講義の時、生徒が好きな
古典の文学作品を素材にして、自由に、生徒独自の
感性で、小説を書くという宿題が出ました。

私は、古典文学が素材なので、古典文学の
時代の小説で、教授に教わった説に、忠実に、
無難に、小説を書きました。

私の評価は、B評価という普通の評価でした。

しかし、教授が一番評価したのは、
カナダを舞台にして、古典文学を、
現代の物語にかえて、創作した小説でした。

生徒全員の作品を、生徒達が、まわし読み
できたので、私も、その作品を読みましたが、
作品は、教授の説に、従順ではなく、
若い人らしい、その人独自の新しい視点が、
古典文学に加味されて、とても独創的でした。

その時、私は、
「結局、十年一日のごとく、古典を
教えている教授が、小説家で、ずっと、
飯を食っていかれるわけではないよね」
という身も蓋もない現実を、考えたのです。

大学で、古典を教える業界は、競争がないです。

しかし、小説家で飯を食っていくには、
熾烈な競争があるのですね。

理系の研究の世界では、ノーベル賞を受賞した
本庶氏が、
「師匠の説は、どんどん旧くなるので、
弟子は、師匠の説を覆すのが、師匠への恩返し」
というような事を、新聞で語っていました。

確かに、最先端のミュージシャンのプロの世界は、
競争が激しく、生き残りは容易ではないです。

ミュージックスクールで学んで、卒業すれば、
誰でも、プロで、音楽で飯が食えるわけはないし、
作家養成スクールを、卒業すれば、
誰でも、小説家で飯が食えるわけはないですよね。

ただ単に、基礎を習得しただけなのですね。哀

現実に、Jポップで、活動しているプロの本では、
「ミュージックスクールで、学んだけど、
現場には、あまり役にたたない基礎ばかりで、
物足りなくなり止めた。結局、プロでやっていくには、
プロの現場で学ぶしかない。数年後、ミュージック
スクールは潰れていた」と、書いています。

もし、会社経営をして、会社を潰したくなければ、
今現在の現場の経済を、自分で貪欲に学んでいくしか
ないと思います。その時に、旧い経済学の
マニュアルとは、距離をとらないと、
マズイのですかね?

私も、自分が学んだジャズ理論は、すべての音楽に、
当てはまるものではないので、距離をとっている
所があります。

ジャズ業界の裏の話ですが、ジャズは、ジャムセッション
という、いろいろなプレイヤーと共演できる場が
あります。

結局、ジャズの音大を卒業しなくても、
プロが集まるレベルの高いセッションで、
スカウトされて、一流どころのプロのバンドで、
現場で学んでいけば、音大に行く必要はないと、
考える人は多いです。

「闇セッション」と言って、非公開で、
辣腕プロレベル(超一流レベル)しか、
参加できないセッションもあるそうです。

なぜ闇の非公開にしたのかは、よく分かりませんが、
最先端をやりたいなら、盗まれて、マニュアル化
される事を、警戒しているのですかね??

理系の研究でも、非公開の最先端の
闇の研究もあるのですかね?

私のような、三流レベルでも、プロが参加する
セッションは、よく経験していて、
オリジナルを演奏するプロも、よくいます。

ただし、録音すると盗まれるという警戒があるので、
録音もその場の採譜(楽譜に書く)もNGです。

盗むと言っても、自分が気に入った、おいしい
所を、盗むだけですが、それでも警戒される
のですね。

そうは言うものの、ほとんど人は、他人の
自分にはない感性や、独創性を盗みに
来ていると思います。(笑)

セッションの場は、競争の場なので、
「同じ楽器どうしは、ライバルなので、
口をきかない」というのは、よくある事です。

例えば、AさんとBさんというピアニストがいて、
セッションで、同じような好みなので、
意気投合して、仲良くなったとします。

しかし、同じような芸風という事は、
仕事の場では、バンドの奪い合いに
なることも、よくあるのです。

Aさんが参加しているバンドで、
Aさんが、首になり、Bさんが、参加という事は、
よくある事です。

もし、苛酷な競争の業界で、食べていくなら、
人に教えられる事に期待せず、貪欲に、自分から、
主体的に、学んでいかないとマズイですよね。

趣味でやりたい生徒さんは、やさしく懇切丁寧に、
教えて、音楽でお金がもらえるプロを目指すなら、
講師に依存させず、どんどん生徒さんが、自立して、
自分でやっていく。

そして、周りは、みなライバルという孤独に、
耐えられるメンタルの強さも、必要だと思います。

現実は、同じ楽器をやっているなら、
弟子も師匠のライバルです。

知人は、昔、
「師匠が、弟子をライバルとみなして、
潰そうとしないようなら、弟子のプロでの
生き残りは難しい」と言っていました。

プロで仕事でやっていくなら、周りはみなライバル
という孤独に耐えて、自分の音楽は、人に依存せず、
自分で開発する事ですね。
(私は三流レベルで、自分の情けない技量は、
棚に上げて、理想論を書いています)

お気楽に物事をやりたい根性のない私は、
野口五郎氏と、西城秀樹氏の、ライバルを超えた
仲の良さがウラヤマシイのですが、
箱入り主婦的な甘さですかね?

敬愛する武満徹氏は、
「音楽は人に教えられない」
と言っていましたが、いたく同感です。

趣味で音楽をやりたい方の基礎は、教えられるけど、
プロや、ギャラをもらって、食べていく音楽は、
本質的には、教えられないと思うのです。

「とりあえず、基礎を学ぶのは、最後の最後は、
自立して、自分でやっていくため」
なのですね。

講師は、基礎は教えるものの、
生徒さんが自分で考えて、自立して、
音楽をやっていくのを、じゃましては、
いけないという事ですね。

今は、学びたいと思えば、ネットで、世界の
いろいろな情報が、簡単に手に入るし、
世界のあらゆる音楽が、ネットで容易に、
鑑賞できます。

世界超一流の講師のネットの講座も
いろいろあるので、主体的に、貪欲に、
学びたい人には、良い時代だと思います。

ただ、他力本願で、自分から学んでいく気力が弱い
場合は、競争が激化する業界の仕事の場では、
損をする事も多いと思います。

そういう意味では、独学で貪欲に学ぶ方は、
私は、ホッとして好きです。
独学で学びたい、初めてピアノに挑戦する、
初心者の方の支援のネットの公開講座も、
来年には、開く予定で、楽しみです。

私の教室は、基礎がよく分からない方対象で、
私で、物足りなくなったら、どんどん
他の講師さんに、替わってくださいね。
生徒さんには、私程度は、追い越して、
どんどん伸びていって、もらいたいです。

あさげピアノハウス

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この記事へのコメント

henokaapa
2019年11月27日 06:02
 今朝のCNNの記事にも載っていましたが、かつて日本は産業界の世界的オピニオンリーダーでしたが今はご存知の通り、その原因についてCNNの記者も追及していましたが、私も先日ブログでその原因は日本は真実を求めそこからさらに何をするのか、そういう力を失ったからだと書きましたが、真実にいかに蓋をするかその技術を学ぶ社会はどうなるのか、音楽も私はボサノバの≪黒いオルフェ≫が好きでいろいろなアーティストのそれを聞くのですが、創造性を求める奏者のそれは同じ音楽とは思えない≪オルフェ≫を演奏します。学ぶ姿勢、はこんなにも違う世界を作り上げるコト、になる、それを求めるのか嫌うのか、によって世界は変わるのではないでしょうか?。ハハ、そこはヒトによりますが・・・。
あさげ
2019年11月27日 16:16
真実に蓋をする事は、よくある事だと感じます。
「真実を知りたければ、ウラの金の流れを追え」は、
私的に名言だと思いますが、ウラのお金の流れは、
容易に、情報化されないですよね。
CNNは、世界のいろいろなニュースが、
報道されているので、たまに見てみようと
思います。
「黒いオルフェ」も、そうですが、
ジャズには、この曲は、こう弾けば良いという
メソッドや、教則本がありますが、
でも、マニュアル化した、メソッド
は、基礎が分からない初心者のもので、
プロがメソッドでやっていたら、独創性が、
なくなります。例えば、Aさんというプレイヤー
がいて、「黒いオルフェを弾くAさん」
でなくて、Aさんのファンは、「Aさんの弾く
黒いオルフェ」を、聴きたいのですね。
学ぶ事は、物事の本質を追求する事だけど、
メソッドやマニュアルや、テレビや新聞で、
容易に与えられる、真実に蓋をした、大量の
情報に埋もれているうちに、自分から主体的に、
物事の本質を、追及する姿勢が、なくなって
しまう不安も感じるのです。